もし、「あなたが選ぶ国会議員一人は」と質問されたら、私は田中角栄と答えます。
アメリカ合衆国の航空機製造大手、ロッキード社の航空機(ロッキードL1011)売込に絡んだ贈収賄路事件、いわゆるロッキード事件で逮捕・収監され自民党を離党した政治家なので、この質問で田中角栄と答える人は誰もいないでしょう。
田中角栄は1918年(大正5年)5月4日に新潟県刈羽郡二田村(現在の柏崎市)に生まれました。父親は牛馬仲買人であったが、競馬にのめり込んで大金を失ってしまうことも多く、生活は楽でなかったようです。
田中角栄の生き方のベースになったのは、少年時代の故郷の小学校の草間道之輔校長から教えられた「人の脳とは、数多いモーター(今で言うコンピューターの集積回路)の集まりである」という言葉。
「普通に生きていくなら、そのモーターの中の10個か15個かを回しておけばいいだろう。しかし、この脳内のモーターは努力さえすれば数百個でも数千個でも回せる。それには勉強することであり、数多く暗記することだ。人間一人の脳内には、世界的学者である野口英世になれる力があることを忘れてはならない」
要する「人間の潜在能力には限界がなく、努力しさえすれば不可能なことはない」ということである。
現在の若者にはこうした言葉はあまり受け付けないだろうが、田中角栄にとって草間校長先生は終生の心の師であり、この教えを律儀に実行したのです。広辞苑から英和辞典、漢和辞典、六法全書、江戸小唄まで全てのモーターを動かす材料となり、1ページずつ破ってはポケットに入れ暗記し、暗記したらまた次のページを破る繰り返しだったそうです。
一年生議員のとき、当時首相だった吉田茂自身が東京帝国大学法学部を出て、外務省に入省した超エリートだたっため、田中角栄を馬鹿にし、法律の質問をしたところ、動揺もせずさっと答え、次の質問にも正確に答え、感心した吉田茂首相が一年生議員の田中角栄を法務政務次官に抜擢したことも逸話です。
また、田中角栄に勧められ警察官僚から政治家に転身した後藤田正晴は「田中さんの知っている英単語の数は、僕らはとても敵わなかった」と語っていたと言われているほど、努力家であり、今日の日本の基礎を築きあげてきた政治家です。
田中角栄には、逸話や名語録がたくさんありますので、今後ブログで紹介できればと思っています。
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