私は子どもの頃、何故か喜べない夏休みを過ごしていました。
当然、友人たちは家族旅行、親戚の帰省と楽しいことが盛りだくさんの中、私と言えば旅行へ行ったこともなく親類が帰省しに来たこともなく、毎日家でゴロゴロしながら1日中TVを見て過ごすことが日課でした。
そんな中、毎年NHKで放映される『広島原爆投下の日』『長崎原爆投下の日』そして『8月15日の終戦記念日』の番組は理解出来ていませんでしたが、目を凝らし恒例の行事として見ていました。
さて、私の同級生と言えば、両親が戦後生まれのカッコイイお父さんと美人なお母さんばかりで、また衣類や持っているおもちゃなどが新品でした。友人との関わり全てが別世界の人ではないかと思ってしまうような違和感を持っていたので、何となく友人たちとは見えない壁がありました。
先日、58歳になり今年も『終戦記念日』を迎えます。現在、仕事の関係でお付き合いしている友人に、子どもの頃に持っていた違和感について質問しました。それにより、私と友人たちの間にあった壁が何であったのかが58年の時を経て理解できました。
それは昭和42年に生まれ、これまで生きてきた時代は同じであっても、暮らしている環境があまりにも違い過ぎたことです。
私の両親は第二次世界大戦の戦火の中を直接経験し、友人の両親は戦後に誕生しているため、当然、私たちは戦争に対しての考え方、生き方、物の使い方、食事の摂り方などが全て違っていたのです。
その上、私は友人と比べれば大変厳しく育てられていました。子どもの頃の私は、いつも友人の『両親は若くて良いな』『衣類が新品で良いな』『おもちゃを買ってもらえて良いな』など言い出せばキリがなく、不平不満ばかり持っていました。
そして、何と言っても私が両親から聞かされていた直接経験してきた戦争観についての感覚と、友人たちの戦後生まれの両親たちが伝え聞かされた戦争観の違いが、お互いの日常生活の過ごし方の違いとして表れていたのです。
当然、違和感があっても致し方なかったことでしょう。
今、60歳目前にお互いが聞かされていた戦争観の違いを埋めることも出来ず、このまま違和感のある状況で年を取って行くことは間違いありません。
正直、本当の歴史は分かりませんが、1つ言えることがあります。
それは戦争があったことで直接経験したことがない私たちまでが戦争の犠牲者として生きていることは事実であり、私と友人との違和感は戦争の弊害として何時までも続くことでしょう。
だからこそ、権力者の一言で始まった意味のない戦争は、たくさんの犠牲者を生むだけしかないのです。
第二次世界大戦|国史大辞典・日本国語大辞典|ジャパンナレッジ
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