私が9歳の頃、1976年(昭和51年)から放送された東海テレビ制作の昼ドラマで、学校が長期休みの時に毎日楽しみに観ていました。
今でも鮮明に覚えているので、かなり印象的なドラマだったと思います。
内容は、明治中期の大阪(船場)の呉服問屋(成田屋)を舞台に先代主人(秀吉)が残した「てかけ(妾)の子」(秀松こと秀太郎)の奮闘を描く。志垣太郎(秀松)の出世作だったようです。
秀太郎は成田屋先代主人(秀吉)とお絹(許嫁)との間に生まれた子でしたが、わがままで意気地なし(あかんたれ)であった秀太郎の将来を憂慮したお絹の判断により、成田屋に丁稚として預けられました。
成田屋からは「てかけ(妾)の子」と容赦ない苛めを受けるが、一部、数少ない理解者たちに支えられ、屈することなく父親譲りの才覚と人格を併せ持った青年へと成長を遂げます。
呉服問屋として、経営不振や成田屋の身内による散財などによって倒産寸前に追い込まれ、安蔵(先代主人秀吉の本妻の子)やご寮(本妻)さんでは取引できないとの理由で取引先から主人に推挙されて以後も「主人の代理として店を預かっている」と言い続け、やがて男性下着「ステテコ」を開発し、凋落の一途を辿っていた成田屋を再興、世間から「ステテコ大将」と呼ばれるまでになったドラマです。
私は子どもで、よく理解は出来ていないと思っていましたが、いつも虐められていてもめげずに、しかも謙虚に仕事をこなしていく秀松に感動し、
「僕が大人になってお店を始めたら秀松のような経営者になるんだ」
と子供心に誓ったものです。それくらい、感動したドラマでした。
私は現在、お店は開店しませんでしたが、会社を設立し経営者になったのは、子どものときに観た【あかんたれ】の秀松みたいになりたいという目標があったからと思います。
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