日中戦争から太平洋戦争初期にかけて活躍したゼロ戦(零式艦上戦闘機)は航続距離が3000キロと長距離飛行ができ、優れた運動性能、そして空力的に洗練された上、超軽量化され、1000馬力級のエンジン性能を極限まで引き出し、一時は世界の頂点に立った名機でした。
このゼロ戦を開発したメーカーが三菱重工だったのです。(中島飛行機(現在の社名はSUBARU)はライセンス生産をしていました。)
三菱重工による国産小型ジェット旅客機(MRJ『ミツビシ・リジョーナル・ジェット』)の構想「日の丸ジェット」は2008年に始まり、日本のメーカーが製造したジェット旅客機が世界の大空を飛ぶ時代がやってきた、と飛行機好きの私はその日を楽しみにしていました。
設計・製造し販売までに至るまでには、幾つか乗り越えなければならない、たくさんのハードルがありました。時間の戦いもあり、何度かの販売期日延長によるイメージダウンを乗り越え、スペースジェットが大空を飛行実験し、FFA(アメリカ連邦航空局)の審査段階まできていたはずですが……。コロナによる試験飛行の更なる延期、最終的にはロシアによるウクライナ侵攻がトドメを刺してしまったのでしょう。
2023年2月7日、三菱重工の泉沢清次社長は記者会見で、
「『技術』を『事業』にするところ十分な準備や知見が足りなかった」
と「スペースジェット」の敗因を語り、子会社の三菱航空機は商業化にこぎ着けることができず、撤退すると発表されました。
日本では戦後、航空機に関わることが出来ない時代がありました。その後、日本の重工企業が出資した日本航空機製造株式会社を設立。YS-11(ワイエスじゅういち)を開発・製造・販売していました。世界中の大空を飛行しましたが、販売に失敗し、会社は解散しました。
しかし現在、現存の機体は世界の何処かで飛行しているようです。そのような過去の失敗の中で、三菱重工による「スペースジェット」は成功するものと思っていましたが……。
やはり、過去の失敗を学ばずに世界に挑戦し、またしても失敗してしまったのだと私は思います。
三菱重工という大きい企業が、小型ジェット機の開発・製造・販売から撤退するということは、今後、日本国内の航空・宇宙産業に関わる大きな企業による商用ジェット機の開発が、未来永劫なされないことが確定したようなもので、残念でなりません。
けれども、本田宗一郎が設立した会社、ホンダの系列会社ホンダジェットからビジネスジェット機の開発・製造・販売がなされ成功している事例もあります。現在世界中では、このクラスナンバー1の機体数を販売しているという事実もあり、ホンダには是非とも頑張って頂きたいものです。
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