学歴があれば「勝ち組」なのか?
日本は国家がしっかりしていることもあり、小学校、中学校の義務教育で最低限生きていく上での知識や社会性を学ぶことができます。また、この9年間は成績という物差しがあり、高校入学、その後、大学の入学先は決まっていきます。
私が中学の頃は、成績の良い者は普通高校(理数科など)、次に工業・商業高校、次にあるのはレベルの低い工業・商業高校、最後の選択肢として何と言っても農業系の高校でした。
将来、何になりたいかではなく先生が
「この成績では普通(理数科)」「成績が悪いから農業」
と、このような先生方のルールで選別されていました。
(担任としては、本人の将来のことを考えての最善策だったのでしょう。)
理数系の高校に進学した好成績の友人たちは国公立に進み、一部上場の大手企業や国家公務員など将来的に安定した職に就いたのだと思います。
現実には、私の友人たちは成績が良くなく工業高校を卒業し、地元にある一部上場の製造工場に勤めたケースが多い時代で、安定した地方公務員に就職する者はいない時代でした。今では一部上場の製造工場はほとんど閉鎖され、一生安泰に働ける就職先はなくなりました。
現在は有名国立大の修士課程を修了しても定職に就けず「高学歴難民」として、アルバイト生活を送り、毎日の生活に困窮しているものもいるようです。
やはり「勝ち組」「負け組」で分けるとするならば、毎日お金に困窮せずに生活出来る者が「勝ち組」なのでしょう。
昭和の考えは、優秀で高学歴でさえあれば一生苦労せずに生きて行けると信じていた節もあります。
時代は変わり、その時々の時代の変化に対応し「時代の波に乗る」ことが「勝ち組」になることのできる方法なのかもしれません。もう、優秀で高学歴という者が将来的に幸せになれるという呪縛からは解放されなければならないでしょう。
これからは無理して奨学金を借りてまで大学に進学する必要がありますか?中卒・高卒で就職し「時代の波に乗る」生き方を選択することが「勝ち組」なる近道ではないでしょうか。
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