子どもの頃、よく父親から「今度の夏休みは海に泊まりに行くからな」とか「今度、清里に別荘買うからな」とか「今度、山中に別荘買うからな」とか言われましたが、旅行に行ったこと、別荘を購入したことはありませんでした。
我が家は父親はサラリーマンで交代勤務をし、母親も工場勤めをし、日曜日は他で働き、夜は内職をして頑張っている両親でしたので、お金には不自由ないと思っていました。それでも、私はいつもお下がりばかりで、衣類からおもちゃ自転車全てにおいて中古品でした。
当然ですが、いつも友達の環境と比べ惨めになり、本当に辛い子ども時代を過ごしていました。
その休みなく働いていた両親の姿を見ていた私からすれば、理解できませんでした。「大人になったらお金持ちになってやる」と子ども心に言い聞かせ、弱音を吐かずに暮らしていたのも事実です。
さて、大人になり実家のリホームをするにあたり、整理をしていたところ色々なものが出てきました。その中に、両親の実家にお金を貸した借用書がたくさん出てきました。多分、返してもらえず今に至っていると思います。また、もう当の本人もいないので時効でしょう。
そんな昔の両親が休みなく働いていたお金の殆どを貸していた事実を知れば、私が子ども時代に惨めな思いをした原因も分かりました。
父親が私に「今度の夏休みは海に泊まりに行くからな」とか「今度、清里に別荘買うからな」とか「今度、山中に別荘買うからな」と言っていたのも嘘ではないのでしょう。私が生まれたのは、戦後20年程度しかたっていない日本であり、両親が長男・長女であったことを考えれば、お互いの実家に援助していたことも理解できます。
私は末っ子で、いつも母親にべったりしていました。食事が少ししかない時は必ず母親は「今日は体調が悪いから」と言って食べずにお釜にこびりついた「ひと粒、ふた粒のお米」を食べていたのをよく見ていました。私は子ども心に「食べ物がないんだ」と感じ取り母親に「僕は食欲がないから要らない」といって食べずにいましたが、実はお腹はペコペコでした。
そんな母親を見ていたので、いつまでも「母親を守ってあげないといけない」と思っていた生意気な子どもでした。だから母親も私の気持ちをよく汲んでいてくれていたのか、私は母親から叱られたことは一切ありません。
このところ、貧困が悪のような言われ方をされていますが、貧困と裕福は表裏一体です。貧困を経験せずに裕福になれるわけがないと思います。私は貧困を経験したからこそ今があり、貧困をバネに出来たからこそ今こうして幸せに暮らしているのも事実です。
今、母親のみ健在ですが高齢で少し認知もあるので、体調も良くありません。これまで苦労した分を1日でも長生きしてほしいです。
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