昔々、小学校に入学した頃の私は勉強がしたくて楽しみにしていましたが、自分が思っていた学校像と違いモヤモヤしていました。
授業では一通り教科書の内容を先生が黒板に書いたりし説明しているのは良いのですが、細かい内容(大事な部分)について理解できない子、普通な子、説明しなくても出来る子の三種類に分かれていました。当然ですが先生は理解できない子に手が掛かり、普通の子は何となく理解したのか、していないのか分からない状況で進んで行きました。
当然、出来る子は授業に関係なく理解できていて、私たちとはどんどん授業差がついていきましたので、あまり期待していた授業になっていなかったことがモヤモヤしていた原因でした。
そこで、納得のいかない私が先生に「勉強の仕方を教えて下さい」と質問したところ
「そういうことは塾で学んで下さい」
と言われたことを今でも覚えています。
それが気に入らなくて、私は授業中に勉強せず机に脚を乗せ、授業のボイコットをしていました。それは小学一年生不良のはじまりでした。
当然、その様な態度を先生が許すわけもなく、コテンパンに叱られてしまい降参しました。でも、勉強をしないのは降参しませんでした。
子ども心に「勉強の仕方が分かって成績が上がれば勉強が好きになるだろうな」と考えての質問だったのですが、今思えばその時から先生には期待できないな、と理解した生意気な子どもだったのです。
私たちが子どもの頃は、高度経済成長真っただ中でした。先生方も自分たち働く者の権利や労働環境改善の為に組合活動が活発な時代で、私のような勉強がしたい子ども達に真剣に向き合ってくれず、勉強したければ塾へ、というお任せの時代だったのでしょう。
私が子どもの時に理解ある先生と出会っていたら、人生は180度違っていたと自信を持って言えます。その反動か今では毎日、色々なことを勉強し、吸収している毎日です。
これで良かったのでしょうか。良かったと思うしかありません。
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