2024年11月10日日曜日

戦争の恐ろしさとは

 私は3姉兄の末っ子で、いつも頂きもので姉兄が着古した衣類を着用していました。衣類だけではなく、全ての物がお下がりのものでした。

 友人宅へ行くと若くてカッコイイお父さんに美人なお母さんがいて、全ての物は新品、ご馳走になるおやつはお母さんの手作りのケーキやクッキーでした。

そんな友人の両親と私の両親を比べると、私の両親は高齢で、いつも羨ましく思っていました。唯一自慢できることと言えば、毎日休みなく働いていたことでしょう。しかし、生活は大変だったのが不思議でなりませんでした。

 今回、母親が高齢になったため実家をリフォームすることにしました。私が実家の整理をし、たくさんの物を処分することで、私たちが貧困だったことが分かる物がたくさん見つかりました。

両親は戦前に生まれ戦時中、父は戦地において民間企業で働き実家に仕送りをし、母は長女として実家の切り盛りをし、妹弟の面倒を見る立場にありました。

当然、私の小中の友人達の両親は戦後生まれで、私の両親とは生活歴が全然違い、私が子どもの時に感じたギャップがあっても不思議はない年齢差でした。

 さて、私が実家で見つけた物の中には、戦後、生活が大変な時期であり両親が長男長女として実家に貸し付けたお金の借用書が何枚かありました。

今思えば、母親が元気な時、私に「貸したお金は返してもらう」と何度か聞いたことがありました。

借用書の当事者は、もうこの世に居ませんし、今更、代も変わっていることもあり不可能です。

 見つけた時には貧困生活を送っていた理由が分かり、不思議とホッとしたことも事実です。

 母親は高齢になっても働いていました。当然、実家に援助をしていたからこそ蓄えもありません。今、毎日の介護費用は厚生年金で支払いを行っていますが、年金だけでは到底足りず、私が足りない分を補填しています。

私も生活が大変ですが、子どもとして当然でしょう。考えてみれば、両親が実家に援助さえしなければ子ども心に嫌な思いをせず生活ができ、今現在も貯えの中で介護費用の不足分も捻出できたでしょう。

しかし、両親は愚痴も溢さず、貧困ではありましたが私たちを一人前の大人に育て上げてくれたことは事実です。終わり良ければ総て良し、で良いでしょう。

 今、ロシアがウクライナに侵攻し毎日たくさんの人々が亡くなり悲惨な状況です。

仮に今停戦したとして、第二次世界大戦が終戦を迎え80年が経とうとしていますが、正直、我が家は終戦から今でも復興できずにいる事実を知りました。

 ウクライナへの侵攻は、1人の独裁者が始めました。いつかは終戦を迎えるでしょう。その時、生き残った者たちが荒廃した大地を何世代もの時を経て復興していかなければなりません。

母親が戦後復興終了できるのは数年後、天国にいる父親が迎えに来る時だと思います。

それまでは私も復興終了に向け生活は続きます。終戦後の復興を終えるには個々に違いはありますが、長期間(何世代にもわたって)掛かるのです。

これが戦争の恐ろしさです。




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