現在は少子高齢化で家庭の育児や介護などと対応しなければならない時が、誰しもあるはずです。
この様な時代だからこそ、就業規則内に育児休暇や介護休暇が盛り込まれるようになりました。しかし、この制度も労働基準法が厳しくなったからこそ明記されるようになったものであり、それはごく最近の流れといえます。
さて、江戸時代の日本には何と『看取断り(みとりことわり)』という介護届け休暇制度が既にあったそうです。
武士は必要な場合、藩に『看取断り』を申し出て休暇を得るという制度の存在が、史料に残っているそうです。現代のような介護サービスは整っていないため、家族によるケアが基本だったそうです。この点は武士も庶民も共通していたそうです。
具体的に身体介護の方法は現代に似ていて、基本は食事・排泄介助。入浴介助は現在のような介護用の簡易浴槽や訪問入浴介護サービス、あるいは寝たままや座った姿勢で入浴が行える機械などがあるわけないため、身体を洗うのは手ぬぐいによる清拭が基本だったそうです。
当然、江戸時代には介護施設など存在しない時代ではありましたが、地域での介護体制は整っていたそうです。
もし同居人が居ないようなケースや、あるいは家族だけではケアの負担を抱えきれないときは、ご近所さんの力を借りていたそうです。
庶民の場合は『五人組(現在の組組織)』が大きな役割を果たしていたそうです。『五人組』は元々税金・年貢を納めているか、キリスト教のような異教を信仰していないかを庶民同士で監視させるための制度であったようです。
一般的には裕福な家系の武士であれば、家に居る妻や使用人などに介護を任せていたでしょう。身分の低い武士や町民は女性ではなく男性が率先して、親の介護を担っていたそうです。
この介護の在り方は、幕府が奨励していた孝行の思想が大きく影響していたと考えられるそうです。
この江戸時代には男性家族が中心となって行われていた介護は、何時から嫁である妻が中心になって担うようになってきたのでしょうか。
江戸時代の介護習慣が現代にも続いていたならば、核家族化も進まず皆が幸せに暮らせていたかもしれません。
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