先日、滋賀県警が患者死亡をめぐり冤罪で12年間服役の女性に対し、『直接謝罪』と速報が流れました。
再審で無罪が確定してから5年が経過し、ようやく直接の謝罪となりました。また、滋賀県から3,100万円の賠償も確定したそうです。
しかし、元看護助手の長期にわたり人生を台無しにされたことに対して、謝罪と賠償金で済まされることなのでしょうか。
この所、冤罪事件が数多く報道されています。これまでたくさんの方々が冤罪で死刑になったケースも考えられます。現在は、DNA鑑定も確立され、かつ技術も高度化し、過去の事件に対しての見解も変わってくるでしょう。
今、連日、過去の事件に対しての冤罪の報道がなされる中で、警察官・検察官・裁判官も人間であり間違いを起こすことがあるでしょう。しかし、人の生死が関わる死刑を宣告する裁判官こそ最終決定者であり、間違いを起こしてはならないでしょう。
仮に誤った判断をしたのならば、当該裁判官は冤罪者に対して謝罪すべきと私は思います。しかし、ニュースから伝わるのは所轄警察の現県警本部長が謝罪するケースが通例です。
実際は存命であるならば当時担当した県警本部長や、最終的に判断した裁判官が謝罪すべきだと私は思います。当事者も本当に謝罪してくるべき人は当時直接関わった責任者がすべき、と感じているのではないかと思います。
第67代内閣総理大臣であった福田赳夫(ふくだたけお)はダッカ日本航空機ハイジャック事件で犯人側の人質解放の条件を呑むにあたり、
『人の命は地球よりも重い』
と言っていました。
当然ですが、法律に抵触する行為は法律の下に処罰されることは当たり前です。
法律に基づいて裁判官が最終判断しなければならないからこそ『人の命は地球よりも重い』と肝に銘じ判断してほしいです。
同じ人が人を裁くのは非常に難しいことでしょう。だからこそ難しい試験を突破した裁判官が、責任をもって行う職業だからこそ、適切に判断して欲しいと願わずにはいられません。
これまでに、冤罪で死刑になった方は確実に居るでしょう。その方々の気持ちは想像を絶する恐怖で毎日を過ごし、最終的に絞首刑(こうしゅけい)という方法で息絶えたと想像するだけで恐ろしくなります。
今後、冤罪が無くなることを願いますが、結局は人が人を裁くことである以上冤罪はなくなることはないでしょう。
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