2025年10月14日火曜日

タミヤといえば……

 タミヤと言えば、私の子ども時代に無くてはならない模型・プラモデルメーカーでした。

大人になってからも数年前にタミヤのリバイバル商品である『タイレル6輪車(ラジコン)』を購入しました。

 先日、ラジオ深夜便でタミヤ二代目経営者であり、世界的企業に育てあげた田宮俊作さんのインタビュー番組が再放送されていました。

 タミヤ、と言えば私たちが子どもの頃からお世話になっていたプラモデルメーカーであり、殆どの男の子が購入していたと思います。

 さて、田宮俊作さんは父親の経営していた潰れそうな会社に、大学卒業後入社したそうです。

当初会社は木製モデルの制作販売をしていて売上の全てを社員の給与として配布し、経営者の手元には残らなかったそうです。

1950年代半ばには日本国内には外国製のプラスチックモデルが輸入され始め、木製模型の売り上げが減少していたそうです。

その経緯からプラスチックモデルを製造することを1959年に決定し、1960年には第1作品として1/800スケールの戦艦大和を発売したそうです。

しかし、同時期に栃木の模型メーカーである日本模型が同型艦武蔵の1/750スケールキットを350円で発売しました。

タミヤな赤字覚悟で同価格に設定したそうですが、売上は届かず惨敗したそうです。

その後、当時の模型業界はプラモデルへと流れが変わっていったそうです。

そこで、田宮俊作さんが考えたカスタマーサービスの一環として、24時間365日のクレーム対応を始めたそうです。しかし、パート社員の女性からは大反対で、大反対のなか自身が先頭になってクレーム処理をしたそうです。

そのクレームは子どもたちからの

部品が無くなった」「部品が壊れた

といった全てのクレームに対して、丁寧な挨拶文を添えて即郵送したそうです。

当時はPCなどなかったため、手紙も1人ひとり手書きだったそうです。

また、大人や子ども関係なく、平等にお客様として対応したそうです。

 そのカスタマーサービスこそがタミヤをここまで成長させる原動力となった、と言っていました。

また、今現在、世界中に販路を拡大し大企業に成長した今でも、世界中のお客様に対して、当初から行っているクレーム対応は継続中だそうです。

 今、日本国内は少子化が進み、子どもたちが減少している中でも、子どものクレームさえも大人と同様にお客様として扱ってくれていたからこそ、大人になった今でもタミヤの製品を購入するのでしょう。

何時までも応援してもらえる企業の根底には、田宮俊作さんが苦境の中で始めたクレーム処理があり、世界の模型メーカーとして成長したのでしょう。

クレーム処理は即効性のないものも多く、企業として必要性は分かっていても踏み込んでまで行いません。

そんな中でも、タミヤは継続しているからこそ世界のプラモデルメーカータミヤの存在があるのでしょう。

タミヤのクレーム処理の話は初耳でしたが、日本国内の大手でこんなにも素晴らしいクレーム処理を行い、また何十年も継続出来ている企業など聞いたことがありません。

タミヤからこそ、私たち経営者が学ぶべき企業でしょう。

 『継続は力なり……』

ラジオ深夜便 - NHK

★★TAMIYA INC. 株式会社タミヤ|タミヤ






田宮模型の仕事 (文春文庫 た 45-1)

田宮模型をつくった人々 伝説のプラモ屋 (文春文庫 た 45-2)

タミヤ(TAMIYA) 1/20 グランプリコレクションシリーズ No.58 タイレル P34 1976 日本GP プラモデル 20058 成型色

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