何度か、ブログに高校時代の部活動について触れたことがあります。
そのバレー部の顧問であって、つい先日まで高校の校長をされていた方がバレー部の暴力事件により顧問は解雇・校長は遠方の姉妹校へ移動となったようでした。
さて、私は入部した頃の顧問が好きでバレー部を選択したのですが、この嫌いな暴力事件の発端となった新任の顧問に変更となり、私は好きになれず3年間球拾いをしていました。
選手として試合に参加する機会もなく3年間球拾いをした経験こそが、今の私のベースになっていると思います。
さて、3年間球拾いをして過ごした私であるため、当の顧問が40年以上前の部員1人について覚えている訳もなく、もし覚えていたら奇跡でしょう。
私自身できるならば再会したくもないですし、過去を触れてほしくない程の嫌なバレー部生活だったのです。
運命は残酷です。
一生会いたくないのに今、会社の車両の件で関わっている会社の方が何とバレー部顧問と同じ高校で同級生であり、仲が良かったということで今でも付き合いが継続しているそうです。
そんな中、私のことを
「今度会ったら、今、活躍している〇〇さんを覚えているか聞いとくね」
と言われてしまいました。
嫌な顧問だったとも言えず、また触れてほしくないとも思いながら会話は途中で終わりました。
私自身関わりたくもなく、思い出したくもない顧問が仕事を通じた関係の方の同級生だったとは……。
逃げたかったのにもかかわらず、逃げられない現実を知った今日この頃です。
もし、バレー部の顧問と再会する機会があるとすれば
「当時、3年間球拾いをした経験が今、私を成功へと導いてくれました。ありがとうございました」
とでも伝えるつもりです。
もう逃げません。降参します……。
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