国内では、毎日たくさんの犯罪が発生し、毎日たくさんの判決が出されていることでしょう。
そんな中、判決に対して
『それ間違ってない?』
というようなことはよくありますが、裁判官が出したものであり、判決に対して粛々と罪を償っていくことでしょう。
子どもの頃テレビっ子であった私は時代劇が好きで、中でも『大岡越前』はいつもスカッとして気持ちの良い終わり方だったのが、印象深いドラマでした。
ドラマ内では先妻(実母)の産んだ子を、後妻(継母)が産んだ子だと主張するのですが、どちらも譲らないため、大岡越前が2人に、その子の手を両方からそれぞれ引っ張るように命じました。
最後まで子どもの手を掴んでいた方を親と認めるということでしたが、子どもが痛がって泣き出してしまったため、それを見た先妻がすぐに手を放します。
すると大岡越前は
「実の親なら、子どもが痛がっているのを見て、引っ張り続けることはできない」
と、先妻を子どもの親と認めた、という話です。
この話は実話ではなく、中国の『棠陰比事(とういんひじ)』にある話を翻案したものですが、実は遡ること聖書(列王記 3:16-28)にあるソロモンの裁判にルーツがあると言われています。
ソロモン王は、子どもの手を引っ張らせるのではなく
「生きている子を二つに分けて、半分ずつ、それぞれの女に与えよ」
と言いました。
もちろん、そんなことはするつもりはなく、女たちの反応を見るためです。
すると本当の母親は、子どもを分けず(殺さず)に、もうひとりの女にあげて欲しいと言います。
我が子を手放すのは心が張り裂けそうになるほど苦しい決断だったに違いありませんが、子どもの命には代えられません。
一方、嘘を言っている女は、王の言う通り子どもを半分に分けて欲しい、と言いました。
それを見て、ソロモン王はどちらが本当の母親なのかを見抜き
「この女が母親だ。その子を殺さず、彼女に与えよ」
と命じたのでした。
これらの話から裁判官も自身の感情で判決を出しているとは思いませんが、私たち国民から不信を抱かれないような判決を出してほしいと願わずにはいられません。
本来、人を裁くことは神のみが出来ることでしょう……。
0 件のコメント:
コメントを投稿