1985年(昭和60年)8月12日(月曜日)。
ムシムシする真夏の夕刻、日本航空123便(ボーイング747SR-100型機)が群馬県多野郡上野村の山中へ墜落するという航空機事故がありました。
123便は東京国際空港(羽田)発大阪国際空港(伊丹)行きの定期航空便で、伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かる頃、機体後部の圧力隔壁が破損。垂直尾翼と補助動力装置(APU)が脱落し、油圧操縦システムを全喪失、操縦不能に至り迷走飛行の末、18時15分30秒頃に群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称:御巣鷹の尾根)に墜落。乗員乗客524人のうち死亡者520人、生存者4人であった。
この事故は2022年8月時点での単独機での航空機死亡者数としては世界最多となります。夕方のラッシュ時とお盆の帰省ラッシュが重なったことなどで、著名人を含む多くの犠牲者を出し、社会全体に衝撃を与えました。
当時、私は大型旅客機の整備士を夢見ていた18歳の少年で、夏休みでお盆の始まりでもあり、テレビニュースが一報を伝えた時の心の動揺は今でも忘れていません。
私は事故から数年し、大型旅客機の整備の職に就き、安全を祈り毎日過ごしていました。その後、事情があり退職し故郷にUターンしましたが、今でも毎年やってくる8月12日は心穏やかに過ごせたことはありません。
いつか、機会をつくり御巣鷹山の尾根に行きたいと思っております。
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