今でも覚えていますが、20年以上前の1998年春、千葉県在住の高校2年生のAさんは、新聞各紙、テレビ局で大々的に取り上げられました。それは日本初の「飛び級」で、千葉大学工学部に入学したのです。この時、私は日本も飛び級の制度が始まり「これからはたくさんの優秀な若者が輩出され日本を支えてく、新時代が始まるんだ。」と期待していました。
Aさんは高校3年生を経験しないまま工学部に通い、そのまま千葉大学の大学院に進学。修士課程を終え、宮城県にある財団法人の研究所で研究職に就いていたそうです。
研究職としては、月給は手取り約20万円で、しかも1年契約で何年更新できるか分からず。大学院生時代に中学時代の同級生と結婚し、娘さんも生まれ1年契約の不安定な研究職は1年で辞めて地元に戻ったそうです。
現在はトラックの運転手をし、手の空いた時間に医学部を目指している高校生の家庭教師もやっているそうです。研究職にこだわるよりも、家族との時間や安定した収入を得られるトラック運転手を選んだAさんには後悔がないようです。
このような結末になったというニュースを見つけた時、私自身「優秀なのに勿体ない」と思いました。日本では、優秀な若者が生涯に渡って安定した技術開発の研究できる土壌がないために、このようなケースに至ることはよくあるそうです。
現在、日本が経済的に冷え込んでしまっているのも良く分かるような気がします。
今後、優秀な若者が生涯、生活が安定した上で研究が続けられるように日本としても積極的にバックアップし、以前の日本のような技術立国が戻ってくることを願わずにはいられません。
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