日本の1980年代といえば、国内は好景気で株価も最高値、株の知識がない個人でも株式投資、不動産投資、企業は世界中のビルを買い漁るような時代で、この好景気が永遠に続くと考えていたと思います。
現在はどうでしょうか?
日本は1980年代の面影すらありません。あるとするならば、その当時に作られたホテルや旅館が日本中、至る所に廃墟としてあるだけでしょう。
さて、当時日本国内では、世界のシェア80%を独占していた半導体産業がありました。
そのまま行けば今でも日本は好景気に恵まれ、今回、自動車産業はじめたくさんの業種で半導体不足により、経済が停滞することはなかったでしょう。
その半導体に関わっていた方が、2021年6月1日午前9時から衆議院の分館4階第18委員室で行われた「科学技術・イノベーション推進特別委員会」の半導体の専門家として参考人招致を受けたそうです。
「日本半導体産業の過去を振り返り、分析、反省し、その上で将来どうしたらいいか?」
について、意見陳述を行いました。そこで主として3点を挙げられたそうです。
- 日本のDRAM(dynamic random access memory:コンピュータなどに使用される半導体メモリの略称)産業は、安く大量生産する韓国の破壊的技術に駆逐された。
- 日本半導体産業の政策については、経産省、産業革新機構、日本政策投資銀行が出てきた時点でアウトとなった。
- 日本は競争力の高い製造装置や材料を、より強く政策を掲げるべきである。
と。
1980年代後半になると、サムスンは
「PC用に25年保証は必要ない。5年も保てばいい。それよりも、PC用DRAMは安価でなければならない。その上、PCの出荷台数が桁違いに多いから、そのDRAMは安価に大量生産しなければならない。」
という方向で製造し、日本を抜き去って世界シェア1位に躍り出たのです。
このとき、まだ日本メーカーでは、相変わらず25年間壊れない超高級品質の製品を作り続けて、結果として、サムスンの安く大量生産する破壊的な技術に駆逐されてしまったそうです。
日本人は勤勉で、高性能高品質製品を作ることを誇りにしている結果「過剰技術で過剰製品を作ってしまう体質」から抜け出せず、かつ、過去の成功体験を引き摺り「今でも自分たちの技術が世界一」と己惚(うぬぼ)れていたからだそうです。
誰もこの病気に気付かなかったばかりか、より過剰技術で過剰品質を作ることに、各社、産業界、経産省、政府が注力した結果、病気は治らずより悪化。エルビーダ(日本の半導体産業のDRAM専門メーカー)などの死者(倒産)も出てしまい、ついには壊滅的になってしまいました。
時は過ぎ、今回半導体不足により、国内製造業が製品供給できず、自動車の納期が数年後になったり、中古車が新車価格を超えてしまったりと製造業がボロボロになりました。
今、国が主導し国内の半導体産業に力を入れ始めましたが、多分、この計画は失敗に終わるでしょう。
過去の失敗を繰り返さないように、願うばかりです。
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