私たちは子どもの頃は将来に向けたくさんの夢や希望を持ち、『医者』になりたい、『パイロット』になりたい等と夢をいだきます。しかし、年齢を増すごとに現実と自分の学力などを受け入れることで、諦めざる負えないことが往々になります。
そんな中、定年後のセカンドキャリアのために資格を取ろうと考える人は、少なくないと思います。
今回、東京大学から農林水産省に入省したキャリア官僚だった水野隆史さんが、50歳を目前にして一念発起して医師を志し、60歳で医師免許を取得しました。
「父は私が19歳の時に早逝していたので、自分が50歳を超えられたら父の分までもう一つ別の人生を歩んでみたいと漠然と考えていました。小学生の時に伊能忠敬の伝記を読み、感銘を受けた影響もある」
と言っているそうです。
伊能忠敬は江戸時代の商人で、50歳で家督を長男に譲り江戸に出て天文学を学んだそうです。そして、55歳にして全国の測量を始め、艱難の末に制度の高い日本地図を完成させた“遅咲きの星”だったようです。
水野さんは50歳の初試験から55歳の金沢大学医学部に合格するまで、北は北海道から南は鹿児島まで延べ50校近くを受験し、受験費用だけで1年あたり60万以上かかったようです。
「合格通知が届いたときは、妻と久しぶりに寿司店に行きました」
実際、お金のやりとりは大変だったようで、大学時代の4年間と国家試験浪人中の1年間は「収入ゼロ」で、退職金と奨学金の借入や銀行のカードローンの借入などで生活を賄い、奥さんは値引きされた惣菜や食料を購入し、食費を切り詰めて出費を減らすように努めたそうです。
50歳を過ぎて医学部を受験し、医師になるには並大抵の努力では出来ないうえ、奥様の協力の賜物だと思います。現在は中央病院の総合診療科に勤務し訪問診療を専門で行い、診療所所長も兼務しているそうです。
50歳を過ぎて医師になるなんてことは真似できませんが、私も定年後、小さい頃の夢に向け、第二の人生を歩んで行ければと考えます。
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