中学生の時には人生でたくさんの大切なことを学ぶ時期でありましたが、私の学校は荒れている有名な中学校でした。そのため真面な(まともな)授業を受けた記憶はありません。
その中の古文には「徒然草」があり、第109段「高名の木登り」が有名です。
「高名の木登りといひし男、人を掟てて、高き木に登せて、梢を切らせし……」木登りの名人がいた。人を指図して、高い木に登らせて枝を切らせていた。とても危険だと思える高さの時は何も言わなかったのだが、降りるときになって、屋根の高さ位まで来たところ
「落ちるなよ。気を付けて降りろよ。」と言葉を掛けた。
「これくらいの高さになれば、飛び降りたとしても降りられるだろう。なぜ(この場面で)そう言うのか。」私がそう言うと、木登り名人はこう答えた。
「(私が言いたいことは)そのことです。目がくらむような高さで、枝が細くて折れそうで危ないときは、登っている本人自身が怖いと思って気を付けるので、何も言いません。ケガは、安全な所になって、必ずするものです。」この男は身分が低い賎しい者であるけど、その発言内容は聖人の教えに一致している。
蹴鞠(けまり)も、蹴り上げるのが難しいところから上手く蹴り上げた後に安心と思うと、必ず失敗するとか、その道では言うようです。
危険だと感じるときには気を付けるのでいいですが、もう安心(安全)と油断すると、思わぬアクシデントが起きます。油断大敵、まさに現代でも世界中どこでも通用する教訓です。
この「高名の木登り」には、大切なことが二つあります。
一つは「油断大敵」という教訓。そしてもう1つは「人を先入観で判断するものではない」という重要な教訓です。
残念ですが、人間は事故を起こさないような場所で多く起こし、人間関係では、その人の地位で対応しがちです。
「高名の木登り」はまさに私たちが日々生きていくのに必要な「人生訓」でしょう。
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