戦後初の国産輸送機『YS-11(試作機1号機)』を後世に残そうとする取り組みが本格始動しているそうです。
同機は戦後GHQ(連合国軍司令部)に制限された日本の航空機生産の復活に関する象徴的な機体でもあります。
今回、千葉県内に30年以上、野ざらし状態で窓枠が破損、塗装の剥がれなど状態も酷い『YS-11(試作機1号機)』に関し、有識者会議は今年「国産輸送機の歴史的原点」として「永久的保存」に向けた対策を提案したそうです。
この機体は、元々成田空港内の片隅にあったものです。私が35年以上前に勤めていた会社で胴体から主翼を外すなど大掛かりな分解をし、大型トレーラーで移送し成田空港博物館内で組立直し、最後に塗装を施し新品同様の試作機1号機に戻し展示するための作業を行った機体です。
今回SNSで、その『YS-11』がボロボロの状態であることを知り、びっくりしたところです。
当時空港博物館では、試作1号機だからこそ大切に保管したい、との計画で成田空港からの移設が始まったと記憶しております。
しかし、何故こんなにもボロボロになってしまったのか分かりませんが残念でなりません。
私が20代前半の時、長期間成田空港近くの旅館に泊まり込み、同時にアメリカ合衆国シアトルにあるボーイングの工場に出張と忙しい中での作業だったのでよく覚えています。
また、この作業に携わったたくさんの仲間たちが今、北は北海道、南は九州・沖縄など日本各地の空港で整備士として活躍し、空の安全を守っていることを思い出しました。
今回の情報はショッキングなニュースでもあり、懐かしいニュースでもありました。
このYS-11は日本が戦後、航空機生産を復活させた初の輸送機でありながら性能が良く素晴らしい機体でありました。
残念ながら時代背景もあり販売に失敗し、製造会社である日本航空機製造株式会社が解散する結果となりました。
しかし、高性能な機体だったため世界中で使用され、長期間使用されてきたタフな機体でもありました。
これ以降、日本では大型輸送機の製造販売は出来ていないことを考えると残念ではありますが、この機体こそ後世に残すべき『機械遺産』であるべきです。
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