日本には戦前に日本航空輸送という航空会社があり、この会社が満州代表部に指示し、1931年に設立させた「満州航空株式会社」が現在の中国瀋陽市にありました。
この会社は航空機の製造から運行、航空機に係わる全ての業務を行い世界中の飛行場に営業運行していた世界で唯一の航空会社であり、現在でもこのような全てを行っている会社はないほど大きな企業でした。
当然ではありますが、第二次世界大戦の敗北によって満州国は消滅し、これに伴い満州航空株式会社も消滅しました。
(戦時中、私の父親は航空機機関士(フライトエンジニア)として勤務していました。現在は航空機も進化し、航空機関士の職種はありません。)
さて、飛行機といえば誰もが知っているのはライト兄弟(アメリカ合衆国出身の動力飛行機の発明者)ではないでしょうか。
ライト兄弟は1903年12月17日に世界初の有人動力飛行に成功したのです。ちなみにアメリカ連邦航空局(FAA)が発行するパイロットのライセンスパス(免許証)の裏面にはライト兄弟の肖像が描かれているそうです。
また、LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれたそうです。
一般的に飛行機といえばライト兄弟になりますが、実は世界で初めて飛行機を作り飛行させた人は日本にいました。二宮忠八という人で、ライト兄弟が初飛行したことは世界で初めてではなかったのです。
ただし、二宮忠八が制作した飛行機はカラス型飛行機でゴム動力だったそうです。その後、さらに研究を重ねて人が乗れる玉虫型飛行機を開発し、陸軍にエンジンの調達を上申しましたが、却下され自力でエンジン開発を行っている時にライト兄弟の成功を知ったそうです。
その後、二宮忠八は飛行機による死亡事故が発生したのを機に1915年(大正4年)に自宅を飛行神社として創建、空の安全を祈願するようになったのです。
日本人である二宮忠八がライト兄弟よりも先に飛行機の原型を作っていたことは驚きであり、日本人の凄さが分かる事実でもあります。しかし、ライト兄弟は有人動力付き飛行機で飛行したことは初めてであることは確かであり、その原型を作っていたのが日本人である二宮忠八であることは日本の誇りでもあります。
日本人が世界で初めて飛行機の原型を考えていたことも凄いことですが、戦時中に満州航空株式会社において航空機に係わる一大事業を行っていた世界で唯一の会社であります。
現在でも航空機全般の業務を行っている会社は未だにありませんし、二度とこの様な世界中をマーケットにできる企業が創業されることはないでしょう。
ライト兄弟|日本大百科全書・世界大百科事典|ジャパンナレッジ
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